三河一の色男を自称する大久保忠世(おおくぼただよ)は徳川十六神将(とくがわじゅうろくしんしょう)の一人です。
徳川家康の天下取りに欠く事のできな家臣の一人でもあります。
今回は、『大久保忠世(小手伸也)』について少し調べてみました。
みなさんも気になりませんか?
ちょっと覗いてみましょう!
大久保忠世について
- 名前:大久保忠世(おおくぼただよ)
- 生年:1532~1594年10月28日
- 素性:徳川十六神将の1人
三河一向一揆、三方ヶ原の戦いで活躍
追放された大久保忠世の仲介で帰参したと言われている - 役者 小手伸也(こてしんや)
三河一向一揆
徳川家康の三大危機と言われる最初の危機「三河一向一揆」では、多くの家臣が
一向宗へ流れていく中、家康への揺るぎない忠義の他の家臣と共に難敵を攻略します。
古い文献では、この戦では、目立った働きをしていないとされる「本多正信(ほんだまさのぶ)」がこのドラマでは一向宗の軍師として家康に反旗を翻しています。
家康自身、この一揆(戦)で『宗教』の持つ力を身を持って知り、また、家臣との信頼関係を保つ難しさも知ったことでしょう。
大久保忠世が本多信正の追放に助力し、そしてその後、帰参を仲介することになるもの家康の運命でもあり、類まれない能力だったのかもしれません。
三方ヶ原の戦い
武田信玄の西上作戦の過程で起こった「三方ヶ原の戦い」は徳川家康の三大危機の2つ目。
桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取ったことで信長と同盟を結んだ家康だったが同時に武田信玄からは、侵攻の標的になります。
そもそも当時の徳川の戦力は武田軍に太刀打ちできるものではなかったため、簡単に攻め落とされる対象だったと言われています。
武田と織田も同盟関係にあったため、徳川にとって頼みの綱であった織田からの援軍もほとんどなかったとも言われています。
そんな中、家康は、奇襲を狙って武田軍の背後を突こうと「三方ヶ原の合戦」に臨んだが返り討ちにされます。
先にも書きましたが、本多忠勝と大久保忠佐の殿軍(しんがり)で、なんとか逃げ切ったとされています。
番外編
- 名前:小手伸也(こてしんや)
- 生年月日:1973年12月25日
- 出身:神奈川県
今回のブログ作成で初めて知りましたが、なんと私と同学年の『イチロー世代』なんです。
一気に親近感が出ました!!
何が初見だったか忘れましたが、当初はお笑い芸人だと思っていました。
どこかのタイミングでコンフィデンスマンJP の舞台挨拶を見ていたときに俳優だと再認識したのを覚えています。
もしかしたら、一緒に見ていた妻に教えてもらったような気もします。
いずれにしても個性の強い俳優で、演技力のある人物だと思います。
今後も同世代として活躍を期待しています。
まとめ
木下藤吉郎:秀吉役のムロツヨシさんにも負けないクセの強い演技で今回の大河を盛り上げている大久保忠世:小手伸也さんが、これまた格段の存在感を出している本多正信:松山ケンイチさんの追放と帰参に絡んでくると思うと今後も見逃せませんよね。
古沢良太さんの今後の演出にも大いに期待しましょう!