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澤穂希夫婦が突然ですが占ってもいいですか?で過去から今後の運勢をズバリ!

感動の2011年女子W杯決勝から10年が過ぎ、澤さんは結婚して、お子様もいらっしゃいます。サッカーを始めた頃から非凡なセンスを発揮し続けてきた澤さんはどんな運勢のもと歩まれてきたのか。そして今後の運勢は・・・・
そんな澤さんについて少し調べてみました。

みなさんも気になりませんか?

ちょっと覗いてみましょう!

澤穂希さんについて

  • 名前:澤穂希(さわほまれ)
  • 生年月日:1978年9月6日
  • 出身:東京都府中市 
www.football-zone.net

澤さんのサッカーとの出会いは、小学校に上がる前、お兄さんが通うサッカークラブへ付き添って行ったときに当時のコーチに「妹さんもボールを蹴ってみないか」と言われ、蹴ったボールがゴールに入る感覚が、とてつもなく気持ち良く、快感だったことが始まりです。

人それぞれのいろんな気持ち良さを感じる瞬間があるかと思います。

私は、高校で始めたラグビーで初めて公式戦に出場したとき運良くトライを決めることができ、そのとき先輩に「どうや気持ちいいやろ!」と言われ、体の中で沸き上がってくる、なんともいえない高揚感を今でも覚えています。

澤さんが感じた快感とは、また違ったものかもしれませんが…

澤さんは直ぐにでもサッカーをやりたかったようですが、当時はまだ、女の子がサッカーをすることへの理解が低く、そのクラブも難色を示していました。

それを打開したのが、澤さんのお母さんです。

『女子の入部の前例がないのなら、ウチの娘で新しい歴史を作ってください』と言って、澤さんの入部を認めさせたのです。

当時で考えると『前例がない』は、組織では、嫌われる言葉だったと思います。

親の熱意に根負けしたのか、入部を認めたコーチの寛大さにも感心しますね。

なんとか入部できた澤さんは「女の子」ということを忘れさせるほどの能力を発揮し、次々と活躍の場を広げていきます。

中学生にあがったタイミングで、読売ベレーザの下部組織「メニーナ」に入団し、僅か1ヶ月で「ベレーザ」に昇格します。そしてその夏には日本代表に招集され、そこでも結果を出し、日本代表入りします。

本当に凄まじい早さと若さでトップレベルの仲間入りを果たします。

澤さんのスゴさは、高い運動能力も去る事ながら、『謙虚』さを持ち続けているところだと思います。

「ワールドカップで優勝して大会MVPと得点王になり、その年度のFIFA(国際サッカー連盟)年間最優秀選手に選ばれましたが、 自分で自分のことをトッププレーヤーだと思ったことはありません。周りからどれだけ高い評価をされても、それで慢心するようにはなりたくないのです。 自分には突出したものはなく、いつも『平均点』の選手だと謙虚に思っていたい。そうすればどんな状況でも最善を尽くすという考えにまったくブレが生じません」

https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/kataru/031_homare_sawa.html

先日、「キングカズ」のニュースをみました。

私が小学生のときに三浦知良さんが中学を卒業したばかりで高校を中退し、単身ブラジルへ渡航するというニュースを見た記憶があります。子供ながらに「なんちゅうヤツがおるんや」と度肝を抜かれたのも覚えています。

今も現役の「キングカズ」も、同じように『自分はサッカーは好きだが、上手いと思ったことはなく、下手なのでうまくなりたいといつも思っている』と話してたことがありました。

私がこのブログで時々書かせてもらっている「好きこそ物の上手なれ」これに尽きるのかもしれません。

家計管理

番組でいろいろ占ってられると思いますが、澤さんのお母さんは「お金」についても良い教えをされています。

  1. 「お金の貸し借りは良くない」
  2. 「お金は自分で稼いだ分だけを消費する」

この教えを結婚されるまえ、現役のころから堅実に守られていますので、きっと家計は、澤さんが率先して管理されているかと思います。

実はネガティブな面もある?

澤さんのサッカー経歴を見る限り、ストイックでポジティブという言葉が思い浮かびますよね。

そんな澤さんですが、サッカーでPK(ペナルティキック)が苦手なんです。

2011年のワールドカップ決勝でPK戦になったとき、当初は4番目のキッカーになっていたところ、「蹴りたくない」と監督に申告して10番目と交代してもらっています。

これは、2006年のアジア大会のPK戦のときに1番目キッカーで外して負けてしまったトラウマのようです。

こういった話を聞くとトップ選手でも苦手なプレーがあるんだなと少し安心しますね。

旦那さん(辻上裕章さん)について

  • 名前:辻上裕章(つじかみひろあき)
  • 生年月日:1976年8月31日
  • 出身:群馬県
prtimes.jp

2000年にベガルタ仙台に入団するも怪我の影響もあり1年で引退。

その後、柏レイソルのスタッフ、共同通信社の運動記者、日本サッカー協会の広報スタッフなどサポート側でサッカーに携わっています。

そんなところから2015年、澤さんの自主トレに帯同し、そこから結婚にいたります。

まとめ

占いの結果にお二人共が、納得のリアクションが多いようです。

その中でも澤さん自身が以前から「なんで自分は男の子じゃないんだろう」と思っていたことを指摘され、子供の頃の葛藤を話されるようです。おそらく、サッカーを始めた頃に、男の子に劣らない身体能力を持ちながら『男の子だったら、もっとできる』という欲望があったのではないでしょうか。

今でこそ、澤さんたち先駆者のおかげで女子サッカーの認知度が高くなっていますが、先にも書きましたとおり、「女の子がサッカーなんて…」という時代のなかで、サッカーを続けていくことへの不必要な苦労があったのでしょう。

澤さんのお母さんが言った『前例がなければ、作ればいい』は、今では、数々の先駆者たちの名言とされています。

澤さんが大きな影響を受けたという『イチローさん』も、メジャーリーグ挑戦時には「成功するわけない」といった批判が多くあったと言われています。

もちろん、失敗することもあるでしょう。でも、挑戦しなければ「成功」はありません。何か好きなことや目標ができれば、失敗を恐れず挑戦し続けたいと思います。

澤穂希・辻上裕章夫妻・ご家族には末永く幸せに、そしてこれからもサッカー界を盛り上げていっていただけることを期待します。

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