元康(松本潤)の運命を左右する織田信長(岡田准一)との同盟。そのときに再会、遭遇するのがお市と木下藤吉郎(ムロツヨシ:秀吉)です。
今回は、お市について少し調べてみました。
みなさんも気になりませんか?
ちょっと覗いてみましょう!
お市について
- 名前:お市の方(おいちのかた)小谷の方(おだにのかた)
- 生年:1547年~1583年6月14日
- 素性:戦国時代「天下一の美人」だったといわれる。
浅井長政との子に茶々(豊臣秀吉側室)江(徳川秀忠継室)がいる。 - 役者 北川景子(きたがわけいこ)
戦国時代に『天下一の美人』といわれた人物に現代の美人女優『北川景子』さんを抜擢する古沢良太さんは素晴らしいですね。
姉川の戦い
浅井長政が織田信長に破れ、お市3人の娘「茶々」「初」「江」と共に藤掛永勝によって救出され織田家に引き取られたとされています。
これも諸説・逸話があり、お市に想いを寄せていた木下藤吉郎(ムロツヨシ)が、信長に嘆願して救出に向かったとも言われています。
家康軍も他の戦場で劣勢を覆して、なんとか勝利している『姉川の戦い』は、家康にとっても
重要な戦いだったと言えるのではないでしょうか。
柴田勝家との再婚
信長が本能寺の変で死後、柴田勝家と羽柴秀吉が申し合わせて、清洲会議で承諾を得て、柴田勝家と再婚しています。
この結婚には諸説あるのですが、以前より、勝家がお市に思いを寄せていたという話が
信ぴょう性が大きいのではないでしょうか。
お市の最後
お市と悲願の結婚をした柴田勝家が羽柴秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦いで敗れ敗走して越前北ノ庄城に帰城。秀吉はこれを急追して城を包囲して激しく攻め立てます。
敗北を覚悟した勝家は、お市に3人の娘と生き延びるよう諭したが、お市はこれを拒んで共に自決すると誓ったとされています。
しかし、3人の娘だけは、秀吉のもとに届けさせ、生き延びています。
それから勝家とお市、一族は、夜を徹して酒宴を催して今生の別れをした上で共に自害しました。
番外編
お市の3人の娘は、それぞれが歴史上大きな関わりを持っていたとされています。
そんな3人の娘について簡単に触れてみました。
お茶々
長女の茶々は秀吉の側室となり、2人の男子を生んだとされています。
長男の「鶴松(つるまつ)」は2歳で亡くなってしまいましたが、次男の「豊臣秀頼(とよとみひでより)」は無事に成長し、豊臣秀吉の跡を継ぎました。
お初
次女の初は、浅井家の主筋にあたる京極家の「京極高次(きょうごくたかつぐ)」と結婚。
関ヶ原の戦いで京極高次は籠城し、西軍に抵抗し、武功が評価され、若狭国を与えられます。
夫の死後、初は出家して「常高院(じょうこういん)」と号し、茶々のいる豊臣方と、江のいる
徳川方の仲介役として尽力し、「大坂冬の陣」における和睦交渉では、豊臣方の使者として奔走したとされています。
お江
江は、「佐治一成(さじかずなり)」や「豊臣秀勝(とよとみひでかつ)」と結婚したのちに
徳川秀忠と結婚し、江戸幕府2代将軍の妻となった女性です。
たまたまと言えば、それだけですが、3人の娘が多かれ少なから、歴史上で大きな関わりを持つことになったのは、織田家そして浅井家の血筋に関係がなかったとは言えないと考えるのは私だけでなはないと思います。
まとめ
前回、本田忠勝(山田裕貴)が家康の天下統一に欠かせない人物と書きましたが、他にも多くの人物が家康の天下統一に関わっています。その一人が「お市(北川景子)」です。
お市自身もそうですが、その子供、娘達も大きく関わってきます。
今回の大河「どうする家康」古沢良太さんがどこまで描いてくれるか分かりませんが、女性の存在も歴史上大きな影響を与えていることは間違いないでしょう。
元康の最初の妻(奥方)瀬名(せな)は、今川氏真(溝端淳平)に側室になることを迫られます。
そして、お市が元康に与える影響はどういったものになるのでしょう。
今後の『どうする家康』にも期待できますね。