石田三成が、家康の振る舞いに怒り、反撃にでます。それに同調するのが上杉景勝とその家老の直江兼続です。直江兼続も石田三成に引けを取らない才能を持っていたいと言われています。
豊臣そして徳川とそれぞれの天下を見た優秀参謀の一人、直江兼続、そして家康から初めてサムライの称号を得る外国人ウィリアム・アダムスについて調べてみました。
みなさんも気になりませんか?
ちょっと覗いてみましょう!
直江兼続について
名前:直江兼続(なおえかなつぐ)
生年:1560年~1620年
素性:上杉景勝が上杉謙信の養子になったとき近侍となる
役者 TAKAHIRO(上野隆博:うえのたかひろ)
幼少期から景勝に使えていたこともあり、上杉家では景勝と同様に信頼されていた。
豊臣政権時には秀吉にも気に入られ、家臣になるように誘われるが、丁重に断っている。
ただ一時期『豊臣兼続』と豊臣姓を名乗っていた時期がある。
直江状
吉に気に入れられており、秀吉の後ろ盾で上杉家を復興できたところもあり、秀吉死後も豊臣政権を継続させようと考えていたと思われる。
そんな中、家康が秀吉の遺言を破るような振る舞いを許せず、家康に対して書状(直江状)を送りつけます。
家康は、この書状に憤慨したと言われており、関ヶ原の戦いの引き金となってとも言われている。
ウィリアム・アダムスについて
名前:ウィリアム・アダムス(うぃりあむあだむす)
William Adams
別名:三浦按針(みうらあんじん)
生年:1564年~1620年
素性:ウィリアム・アダムズは、サムライの称号を得た最初の外国人
役者 村雨辰剛(むらさめたつまさ)
家康の引見
先に来日していた外国人(カトリック国)らは、海賊船と言い処刑を進言。
家康は、それを信じず、引見し、航海の目的やプロテスタント国とカトリック国と
紛争などを詳細に説明され、アダムズを信頼し、投獄から釈放する。
家康の死後
家康から信頼されていたアダムスだったが、家康の死後、秀忠からは遠ざけられてします。
貿易港を長崎と平戸の二港のみに制限し長く続く『鎖国』が始まった。
その後、家光にも好かれることはなく、鎖国状態を解消できないまま、1620年に亡くなる。
まとめ
直江兼続は、大河ドラマ「天地人」で主人公になるほど歴史上でも重要人物です。
そして、ウィリアム・アダムスも歴史上、日本に最も影響を及ぼした外国人のひとりでもあります。
両重要人物を古沢良太さんはどういった演出で魅せてくれるのでしょうか。