瀬名奪還作戦に関わるであろう服部半蔵!!一般的には『忍者』との認識が多数はではないでしょうか。
今回は、忍者?『服部半蔵(山田孝之)』について少し調べてみました。
みなさんも気になりませんか?
ちょっと覗いてみましょう!
服部半蔵について
- 名前:服部半蔵(はっとりはんぞう)正成(まさしげ)
- 生年:1542~1597年1月2日
- 素性:初代服部半蔵(保長)が故郷の伊賀を出て松平家に仕えたのが始まり。
その後、2代目服部半蔵(正成)が徳川家に仕え大成した。
初代の生まれが伊賀で忍者であったことから歴史上、忍者の元締め的な
存在となり、自然と服部半蔵=『忍者』が認識されている。 - 役者 山田孝之(やまだたかゆき)
忍者服部半蔵
家康に仕えた武将とさている半蔵(正成:まさしげ)。
もっぱら譜代家臣として午廻、御先手、鉄砲奉行などを務めていたようです。
『伊賀越え』の後、伊賀同心・甲賀同心を預けられ、「服部半蔵」として世間でよく知られる要因になります。
が、この当時の半蔵(正成:まさしげ)自身は槍を持ち甲冑を着て足軽を率いた武士であり、一番槍・一番乗りなどを重視し数多くの戦功を上げています。
槍の使い手として名高く、敵味方より「鬼半蔵」と呼ばれました。
合戦において、半蔵(正成:まさしげ)は伊賀者のほか甲賀者や根来者など指揮していた形跡が
あり、その際、忍者的動きがあったため「忍者:服部半蔵」が浸透してしまったと考えられます。
信康の自害
以前に書いた「徳姫」から信長への訴状で、家康(元康)は、信長から妻の瀬名姫と嫡男の信康の殺害を命じられたと言われています。
家康(元康)は信康を切腹させることを決断し、服部半蔵(正成:まさしげ)にその介錯を命じます。
命じられた半蔵(正成:まさしげ)は「三代相恩の主の御首に刀は当てられぬ」と首を打ちかね、刀を投げ捨て落涙し倒れ伏した、との報告を受けた家康(元康)は「さすがの鬼も主君の子は斬れぬか」と半蔵(正成:まさしげ)をより一層評価したとも言われています。
伊賀越え
本能寺の変、直後、信長の死を知った家康を本田忠勝らが説き伏せ、逃げのぶることを選択しました。
その際に道中の安全を確保したのが、服部半蔵正成と言われています。
戦国最強武将の本田忠勝が同行していたとは言え、道中には落ち武者刈りなど危険がありました。
その道中の伊賀、甲賀の地元の民(土豪)と正成(山田孝之)が交渉し、護衛に付け、安全に通行させた後、伊勢から三河の岡崎へ送ったとされています。
その後、伊賀同心・甲賀同心は徳川に召抱えられています。
番外編
- 名前:山田孝之(やまだたかゆき)
- 生年月日:1983年10月20日
- 出生:沖縄県那覇市
出身:神奈川県川内市
山田孝之さんは言わずと知れた名俳優の一人です。
私が個人的に印象深いエピソードで、役づくりで自分の眼球を指で掴んだことです?!
詳細は忘れてしまいましたが、血走った目を求められるようなシーンに向けて睡眠を取らずに
現場へ入ったが、物足りなさを感じた山田孝之さんがとった行動が『眼球を素手で掴む』という
ことだったように記憶しています。
結果も忘れましたが、役に対しての思い入れと強い役者魂を感じたエピソードとして記憶しています。
あと、現在のコンプライアンス重視時代では、続編の作成は難しいと思われる『闇金ウシジマくん』は、ある種、はまり役だったのではないでしょうか。
『闇金ウシジマくん』は、以前、債権回収業務をしていてときの上司からの勧めで見たドラマです。
フィクションですが、良くも悪くも人を追い込む術を知らせてもらったように思います。
山田孝之さんが主演ではあるのですが、当時はまだ売り出し中の役者さんが多数、出演されてて
ストーリー以外でも楽しめたドラマだったように思います。
まとめ
家康(松本潤)が天下をとるまでの道のりで欠く事のできない最重要人物は多くいます。
服部半蔵(正成:まさしげ、山田孝之)もその一人と言えるでしょう。
まずは、瀬名(せな:有村架純)と嫡男の信康(竹千代:たけちよ)奪還作戦に関わるようですが、今後も多くの作戦に忍術を発揮してくれるのでしょうか。
古沢良太さんの服部半蔵(正成:まさしげ)伝説が楽しみです!