金ケ崎の戦いで織田信長は浅井長政の裏切りで窮地に立たされます。
諸説ありますが、妹のお市が『小豆の袋』を送ったことで挟み撃ちを察知して難を逃れたとも言われています。
今回は『浅井長政(大貫勇輔)』について少し調べてみました。
みなさんも気になりませんか?
ちょっと覗いてみましょう!
浅井長政について
- 名前:浅井長政(あざいながまさ)
- 生年:1545年8月28日~1573年9月26日
- 素性:織田信長の妹:お市の婿
浅井家の3代目として全盛期を築く
容姿端麗で名大名とも言われたが信長を裏切り攻め滅ぼされる - 役者 大貫勇輔(おおぬきゆうすけ)
金ケ崎の戦い
将軍足利義昭からの上洛の命令を再三に渡り断り続けた朝倉義景を幕府軍の織田信長が攻めたことが始まりです。
朝倉義景が早期にこの動きを察知して、織田信長を裏切るよう浅井長政を超略したと言われています。
その際、信長の妹のお市が、浅井長政の目を盗んで、陣中見舞いとして信長へ袋の両端を縛った「小豆の袋」を送り、浅井長政に挟み撃ちにされると伝えたとされています。
これには諸説あり、長政が、信長への裏切りに内心納得できてなく、敢えてお市に信長へ伝えるように仕向けたとも言われています。
結果、信長は既のところで挟み撃ちを逃れ、逃げ切ることができています。
そのときの殿軍を務めたのが後の将軍:木下藤吉郎秀吉だったとも言われています。
浅井長政自害
織田信長を裏切った浅井長政は朝倉義景と組み何度信長軍と戦うが、徐々に戦力が失われていきます。
朝倉義景が浅井長政の援護を諦め撤退を始めると織田軍は追撃し、あっという間に朝倉軍を壊滅させ朝倉を滅ぼします。
その後、信長軍は浅井の本城である小谷城を包囲し、浅井へ降伏を促すが応じることなく自害します。
長政の妻のお市と三人の娘は、助けられ、信長のもとに戻ります。
これにも諸説あり浅井へ降伏するよう使者として送られた木下藤吉郎秀吉が長政からの依頼で城から連れ出したとも言われています。
番外編
- 名前:大貫勇輔(おおぬきゆうすけ)
- 生年月日:1988年8月31日
- 出身:神奈川県座間市
父親はオリンピックの体操選手で母親や叔母の元体操選手という運動能力の高い血筋で育っています。
まとめ
古沢良太さんの独特の演出で進んでいく今回の大河ドラマ『どうする家康』
信長の妹『お市』と家康との関連性は新しい見解ではないでしょうか。
今後、浅井長政の死後は、信長の元に戻り、三人の娘たちはそれぞれの天下取りに大きく関わってきます。
古沢良太さんの演出が楽しみです!