ドラマ当初から、北条家(時政)とは腐れ縁的な仲の良さを醸し出していた三浦義澄(みうらよしずみ)次郎(じろう)がついに最後を迎えるときが訪れたのでしょうか。今までの登場を振り返りながら少し調べてみました。
みなさんも気になりませんか
ちょっと覗いてみましょう!
三浦義澄について
- 名前:三浦義澄(みうらよしずみ)次郎(じろう)
- 生年:1127年~1200年
- 素性:平治の乱では源氏に付いた。
北条時政とは、互の嫁が、伊藤祐親(いとうすけちか)の
娘姉妹で坂東武者として腐れ縁といえるでしょう。 - 役者:佐藤B作(さとうびーさく)
源氏との関係
先にも書きましたが、平治元年(1159年)の平治の乱で源氏方についたのが始まりのようです。
その後、相模国(神奈川県)で平家側の武将に虐げられながら坂東武者として過ごしていた。
源頼朝が挙兵し参戦しようとするが、大雨に見舞われ、遅れを取った形で頼朝が一時、撤退した。
後に房総半島(千葉県)で頼朝と合流し、平家方を打ち払い、鎌倉設立に貢献。
今回のドラマでは、源平の争い「富士川の戦い」の「水鳥の羽音」の逸話の原因が、義澄(次郎)と時政(四郎)の義兄弟喧嘩よるものとされています。
富士川の戦い
平家軍(平維盛の総大将)に、そもそもの戦意が薄かったとも言われています。
平清盛によって、長く平定されたなか、武士としての戦意が薄れてしまい、更には『戦』自体の経験不足も重なったのではないでしょうか。
逸話とされる「水鳥の羽音」も、戦いたくない気持ちを増長させるキッカケだったのかもしれません。
隠して、平家軍の敗走により、源氏(頼朝)の力らが大きくなったことは間違いありません。
平家討伐
源頼朝は、ついに平家討伐に乗り出し、西へ軍を派兵します。
これには「富士川の戦い」後に、奥州から駆けつけた源義経も源範親と共に参戦します。
当然、義澄(次郎)も参戦し、一ノ谷の戦いや壇ノ浦の戦いに勝利。
頼朝から勲章を授かるが、息子の義村(平六)に譲っています。
番外編
源頼朝が倒れた際に、時政と水行祈祷を試み、寒さに耐えれず火鉢の囲んでるシーンは、これまた三谷幸喜さんの演出かと思いますが、次郎(さとうびーさく)が、見事にコミカルな演技を見せてくれました。
まとめ
鎌倉殿の13人も後半戦に入り、いよいよそれぞれの思惑が交差し合ってきています。
梶原景時が最後を迎えるタイミングで、次郎(三浦義澄)が同じく亡くなってしまうのでしょうか。
板東武者としての誇りを人一倍強く持っていた次郎(じろう)の意思は、息子(義村:平六)に受け継がれていくのでしょう。
まだまだ、見所盛りだくさんの鎌倉殿の13人!見逃せませんね。